1. HOME
  2. 寒天こばなし
  3. 【第1回】茅野市と寒天

【第1回】茅野市と寒天

寒天の原材料はテングサ・オゴノリ、というのは学生の頃に習った人も多いでしょう。どちらも海藻です。なぜ海のない長野県茅野市という山の中の土地で寒天が地場産業になりえたのか。とても不思議なこの関係をふみこおばあちゃんに聞いてみました。

kanten01.jpgのサムネール画像寒天の誕生は江戸も初期、4代将軍家綱の時代まで遡るそう。その頃すでにところてんはポピュラーな食べ物でした。京都のとある宿屋の宴席で余ったところて んを戸外に打ち捨てておいたところ、冬の寒さによって凍結乾燥をくり返しついにはふわふわとした乾物が出来たのだとか。これを不思議に思った宿屋の主人が 煮てみると見事にところてんに戻るではないですか。この瞬間こそが寒天の誕生です。茅野における寒天製造の始まりは天保年間といわれ、その祖は小林粂佐衛 門であると伝えられています。

kanten02.jpgその頃の茅野市は玉川村と呼ばれ、男たちは冬期出稼ぎに出なければならないような厳寒の土地でした。粂佐衛門は丹波(京都)の寒天工場で働くうち、茅野の風土こそ寒天作りに適しているのではないかと気付いたのです。諏訪地方は昼夜の気温差が大きく、乾燥している内陸の気候です。そして降雪もさほど多くはありません。農民はもとより広い田畑を有しており、耕作のできない冬場にはこれが格好の干し場へと変身するのです。信州にはからっ風といういたずら者もいませんし、干し場が埃やごみで汚されることもなく美しい寒天を製造できたといいます。稲作の副業としてまたたく間に寒天作りが浸透していったのも頷けます。おまけに寒天を用いた料理は素材の腐敗を遅らせる効果もあり、冬の厳しい茅野にとっては産業としても保存食としても二度も三度もおいしい存在だったのです。海のない長野県茅野市の寒天がなぜ全国シェア1位なのか。おばあちゃんのお話から地場産業の歴史をひも解くことができました。



kanten_prof.jpg森二三子さん
「寒天にはちょっとうるさいよ」
生まれも育ちも茅野市本町の地元っ子おばあちゃん。
茅野市の小学校やお料理教室で講師もしています。
 





<<前の記事次の記事>>