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諏訪大社の宮彫り

【蓼科の今】

おはようございます。今朝の天気は晴れ、気温は氷点下10度です。

タウンセンター前の道路状況は写真のとおりです。今週は2回除雪作業をしましたがいずれも量は少なくただ寒さだけが続いています。 

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 今回は2月1日に諏訪大社下社で遷座祭が行われますので、本日と明日とで大社及び下社周辺のご案内をします。

表紙写真は秋宮です。          

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  諏訪訪の伝統彫刻である宮彫りは、国内では安土桃山時代頃から見られ江戸時代前期頃確立されたと言われており、日光東照宮が有名であります、江戸時代当初は大隈流が隆盛を極めておりましたが、やがて後期にはその一派から出た立川流(たてかわ)が躍進しました。立川流は江戸の本所立川通りで立川小兵衛が居を構えたことから名前がついたそうであります。

諏訪の立川流は塚原和四郎富棟(1744年生)が家業の桶屋を継ぐのを嫌がり立川小兵衛のもとで修行して、一旦諏訪に帰りました。当時は大隈流が全盛で、自分の技量の未熟さを認め再度上京し、中沢五兵衛に師事し、再度諏訪に戻り宮彫り棟梁になりました。

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秋宮

 

 

 

 

 

 

 

諏訪社には古くから建築・彫刻を担当する工匠の家が決まっていました。上社は原五左エ門、下社は三井伝左エ門、高島藩には村田佐野右エ門、伊藤弥右門二家の工匠が専属していました。これらは大隈流でありました。ここで両流派での軋轢があったわけですが、大隈流と立川流とを競わせることになりました。

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春宮

 

 

 

 

 

 

 

諏訪大社下社の春宮を大隈流に、秋宮を立川流に造らせたのですが、さて皆さんどちらが優れているでしょうか?

 当時は立川流に軍杯が上がり、その後立川流は上社、善光寺、静岡浅間神社など次々に手掛けられ、江戸本家よりも諏訪の方が名が売れたそうであります。

大隈流はその後宮大工としてこの諏訪の地で栄えました。

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春宮

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お宮参りの際には彫刻にも目を向けてみたいですね。

 ではまた明日お会いしましょう 平島

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