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伝承石と滅び行く家屋

【蓼科の今】

 3月26日本日の蓼科の天気は快晴 、気温は昨日1昨日の氷点下10度と急変し0度と暖かな朝を迎えております。今朝の道路状況は次の通りです。

 

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タウンセンター前にも春が来ました

 

 

 

 

 

 

 

  

 このたびの震災で被害に遭遇された皆様には心よりお見舞い申し上げます。また日本中が大騒ぎになっておりますが、こんなときこそ冷静な対応が望まれます。

茅野市内でもガソリンや灯油が逼迫しており、トイレットペーパーやカップ麺、お米なども商店の棚から姿を消しております。

 さて諏訪地方の所謂山浦地方(茅野の鬼場橋以東の八ヶ岳より)に限ってみても、蓼科山の甲賀三郎・でいだらぼっち、車山のおかんばばあ、湯川の河童伝説、だるま石など沢山の伝承や民話があります。またいわれのある木石も多くあります。そんな中から1つを紹介いたします。下の写真がその「鬼石」です。

 

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横から見た鬼石

 

 

 

 

 

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上から見た鬼石

 

 

 

 

 

 

鬼石は東急リゾートタウンへのアプローチ沿いにあり、ビーナスラインのタウン入口からおよそ2キロ茅野方面に下った、バラクライングリッシュガーデンの約200メートル先のガムラスタンの右手に細い道路が分かれますが、その路に挟まれた場所にあります。あかまつの下にどっかりと座っております。

 いわれを簡単に言うと浅間山に棲む鬼が蓼科山の天辺に来て騒ぎ、茅野(昔は平仮名でちの)へ行こうと足を下ろしたのがこの鬼石である。鬼は次に鬼場橋まで一跨ぎ。鬼場は現在の御座石神社の信号付近で、ここで人間に弓矢で攻められ、矢の先は直ぐ先の矢ケ崎(今の本町)まで飛んだ行った。矢を射られた鬼の体から血が溢れ流れ、あてり一面血の野原になって血野「ちの」と呼ばれた。血野では具合が悪いので後に茅野に変わった。また鬼の体を焼きその灰がはいばら田(埴原田)一帯を覆ったという市内のほぼ全域にまたがる話の発端の石である。茅野市の地名の謂れの話の一つです。鬼場橋の脇に聳える山が鬼場城、その北東側に広がる集落が埴原田です。

 

onibabasinamae.jpg鬼場橋(旧橋)

名前

 

 

 

 

 

 

onibabasisi.jpg 鬼場橋全景

 

 

 

 

 

 

 

 

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鬼場城

この山の右側下山麓に広がるのが埴原田

 

 

 

 

yagasakibasisinki.jpg本町に移行後も地名として残る矢ケ崎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて昔話や伝承なども都市化と共に大きく変貌し、まだ書物に残るものは良いのですが、旧懐の家屋などもあっという間に姿を消しつつあります。まだ余韻を残す素材を次に少し紹介します。

 まず小学校の頃の教科書に載っていた「たてぐるみ」、町場の旧家には雀返しなどもありますが、地元寒村ではこの手の物がかろうじて残っております。

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たてぐるみ

 

 

 

 

 

 

 

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雀返し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次が「萩家」地元では「はんや」と言って、家畜用の餌である干草を貯蔵した小屋である。こちらもほとんど朽ちて無くなってきております。

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はんや

odou,jpg.jpg 柏原集落にある御堂

 

  

  

 

 

 

  

 紙幅がなくなり古民家内部まで紹介できなく残念ですが、移り行く時代の速さを痛感します。なお表紙の写真は芹ヶ澤公園にある赤天狗と青天狗の面で鬼の替わりに載せました(脱色しているので判別がし難い)。天狗の謂れはK氏の集落のものなので来荘時に聞いてみてください。K氏はみなさんのよく知っている人です。

                                       平島

 

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