こんにちは。タウンセンターの岩下です。今朝8時の気温は20℃、天候は曇りとなっております。
2024年2月に、下諏訪町で「鉄腕アトム」のキャラクターがデザインされたマンホールの蓋が設置され、4月からマンホールカードも配布されています。
「鉄腕アトム」の著者、手塚治虫氏の祖先は、諏訪大社下社の大祝(おおほうり)であった金刺盛澄の兄弟、手塚太郎(金刺光盛)の子孫だそうです。光盛も大祝を務めています(下記参考文献より)。
大祝とは、諏訪明神の依り代(よりしろ-神霊が宿る対象物)・現人神(あらひとがみ-生き神様)として、諏訪大社(上社・下社)の頂点に位置した神職です(諏訪市HPより)。
金刺氏は、8~9世紀には、伊那、水内(現在の長野市以北)、埴科(坂城町・千曲市周辺)、諏訪郡に勢力を拡げていたそうです。
諏訪大社下社秋宮の隣にある金刺氏の居城であった霞ヶ城跡には、金刺盛澄の銅像があります。
盛澄と光盛は、平家打倒の兵を挙げた木曾義仲と行動を共にしました。
秋宮北側の山の上には、金刺氏の山城であった桜城址があります。
多数の郭(くるわ)が造成されており、頂上からは諏訪湖が見渡せます。
手塚氏は、上田市別所温泉近くの手塚区(平安時代には手塚郷と呼ばれた)を本拠地としていたようです。
市内には、光盛の居館跡や、手塚家の墓所、光盛寺跡、供養塔などのゆかりの地が多く残されています。
木曾義仲の死後、手塚氏は家・屋敷・田畑すべて源頼朝に没収され、各地に別れていきました。
光盛の子孫手塚吉兵衛は、江戸幕府に仕官し、その子盛行は水戸藩の御殿医になっています。
その子孫である手塚治虫氏も、医学博士で医師免許を持っていました。
手塚治虫氏の代表作である「火の鳥⑧<乱世編下>」には、手塚太郎金刺光盛が登場しています。
また、「弁慶」や「陽だまりの樹」にも、ご先祖が登場しているそうです。
興味のある方は読んでみてはいかがでしょうか。
参考文献
上原榮治(2022)「漫画の神様」手塚治虫のルーツは信州上田にあった!!令和3年版増補版
・上原榮治(2015)手塚太郎金刺光盛-手塚一族の後裔はどこへ?-