Diary 蓼科便り

茅野の水力発電所

 

こんにちは。タウンセンターの岩下です。今朝9時の気温は24℃、天候は晴れとなっております。

茅野市内には、河川や堰(せぎ)などの豊富な水資源を生かした水力発電所が数多く設置されています。
今回は水力発電の歴史と現在のようすをご紹介しましょう。

【落合発電所】

諏訪大社下社御柱祭のハイライトである木落し坂のすぐ近くに、諏訪電気株式会社(中部電力株式会社の前身の1社)によって建設された落合発電所があります。ここは「諏訪地方電気発祥の地」であり、1900年(明治33年)に運転を開始しました。当時は、製糸業の発展に伴い電力需要が高まっていた時代です。
その後、諏訪郡内に送電線網が広がり、1911年(明治44年)に現在の茅野市域である永明村や宮川村に電灯がともされました。

【湯川発電所跡】

1915年(大正4年)に、湯川水力電気株式会社が設立され、北山村湯川区(現在の茅野市北山湯川)に電力が供給されました。湯川区では20か所の街路灯がつき、各家庭には12.5ワットの電灯がついて、夜が一変したそうです。
発電所は1921年(大正10年)ころに閉鎖しました。現在も、功徳寺裏の滝の湯川沿いに遺構が残っています。

【音無川発電所跡】

湯川発電所は直流で出力が弱かったため、1918年(大正7年)に、大門街道沿いの音無川沿いに交流の第二発電所が建設されました。
その後、会社は諏訪電気株式会社と合併、発電所は1933年(昭和8年)に閉鎖されています。

なお、1925年(大正14年)ころ、蓼科の温泉旅館で自家用発電設備を造り、電気を使っていた人がいたそうです。

【福沢発電所】


【米沢発電所】

茅野市豊平福沢にある福沢発電所と、茅野市米沢塩沢にある米沢発電所は、現在も稼働しています。
福沢発電所は1929年(昭和4年)、米沢発電所は1930年(昭和5年)に諏訪水力電気株式会社が建設しました。
同社は、諏訪電気に対する発送電事業を行っていました。1942年(昭和17年)に、中部電力の前身である中部配電株式会社に事業を譲渡して解散しています。

【蓼科発電所】

近年、自然にやさしい再生可能エネルギーの一つとして小水力発電が注目されており、茅野市内でも普及が進んでいます。

茅野市北山蓼科の小斉の湯近くにある蓼科発電所は、1954年(昭和29年)に蓼科開発農業組合によって温泉施設への電力供給を目的として設置されました。
その後、施設の老朽化等により休止していましたが、三峰川電力株式会社によって改修工事が行われ、2011年(平成23年)に発電が再開しました。

この他にも、江戸時代に整備された農業用水路「大河原堰」・「滝之湯堰」や、御射鹿池周辺の堰や沢にも小水力発電所があります。
また、茅野市水道課の埴原田配水池施設内では、受水圧力を利用して発電エネルギーを得る小水力発電設備が設置されています。

茅野市内の水力発電所は、いずれも大規模なダムを持たない水路式発電方式です。
水力発電所は、他の発電方式に比べエネルギー変換効率が高く、CO2の排出量が少ないので環境への負荷も小さい電源です。純国産、地産地消のエネルギーとして、今後も貢献していくことでしょう。
 

 

一覧へ戻る
タウンマップ
各施設の営業情報