蓼科の今

"真田丸"の話題(その1)

2016.01.02


明けましておめでとうございます。
本日のブログ担当の岩下です。今年も、別荘ライフが楽しくなるような話題をご提供できるよう頑張ります!ので、応援よろしくお願いします。今朝8時30分の気温は-3℃、天候は雲が多い、晴れです。


今年のNHK大河ドラマは『真田丸』。総合テレビでは1月10日(日)午後8:00から始まります(1月2日午後7:30から上田を舞台としたタモリと鶴瓶の番組あり)。
ドラマの舞台となる長野県上田地域では雰囲気が盛り上がってきており、このブログでも真田丸にまつわる話題を取り上げてみたいと思います。

1.上田城の崖.JPG        真田信繁(幸村)の父昌幸が築いた上田城は、徳川軍の二度の攻撃を撃退しています。この難攻不落の城は、南側に高さ10mほどの崖があり、かつてはその脚元を千曲川が洗っていました。北側もやや低く河川および湿地帯となっており、上田城を攻め難くしていました。
さてこの地形はどのようにしてできたのでしょうか。
「長野県環境保全研究所研究報告」の最新号(No.11)
にその答えが出ています。


 

2.上田泥流.JPG        上田城南側の崖には地層が露出しており、直径数cm~20cm程度(最大直径は2mないしそれ以上)の角ばった礫(石ころ)を多く含む火山灰質の砂礫層からなっています。この地層は"上田泥流"と呼ばれており、上田高校地質班の論文(1975)によると千曲川上流域佐久盆地の塚原泥流に対比され、給源として黒斑火山が推定されています。その後、信州大学や長野県環境保全研究所ほかの研究者により、仮説が実証されました。

 

3.黒斑山泥流.jpg        黒斑火山は、浅間山ができる前にあった火山で、今から約23,000年前に大規模な山体崩壊が発生し、岩屑なだれが周囲に拡がりました。その一部が佐久市塚原の"塚"となり、さらに千曲川を流れ下って、上田の太郎山にぶつかり止まりました。その後千曲川は"上田泥流"の南側を侵食し、現在見られる崖を造っています。一方北側の太郎山との間の凹地には湖ができ、その後1万年ほどかけて土砂で埋め立てられていきました。その湖の底の堆積物から、山体崩壊-岩屑なだれの発生した年代が明らかにされています。


 

  4.浅間山.jpg        一方、黒斑火山から北側へ広がった岩屑なだれは「泥流」となり、吾妻川を流下して80kmも離れた前橋から高崎市内に厚い堆積物を残しました。
現在浅間山の西側には、黒斑山から北東あるいは南東に連なる峰が作る馬蹄形の崖が見られます。


上田城へお越しになりましたらお城南側の崖を見て、はるか昔に巨大な火山の崩壊というイベントがあったことを想像してみてください。


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