蓼科の今

富士見町の鉄道遺産

2023.01.07

こんにちは。タウンセンターの岩下です。今朝8時の気温は-6℃、天候は晴れとなっております。

 国鉄中央本線は、1904年(明治37年)に富士見駅まで、翌1905年(明治38年)には岡谷駅までの区間が開業しました。
 富士見町には、中央本線の複線化に伴い、運用を廃止した橋梁や隧道が今も残っています。
 今回は富士見駅から信濃境駅の先(小淵沢寄り)までのルートで、明治時代の鉄道遺産をご紹介しましょう。

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 JR富士見駅の東、2つ目の跨線橋(冨里橋)の脇の道に入ると、中央本線に沿って下りて行く未舗装の道があります。このスロープは軌道敷の跡です。草むらの向こうに碍子(ガイシ)の付いた古い架線柱や隧道(瀬沢隧道)が見えてきて、期待感が高まります。
 隧道は両側の坑口が開いており、今も水路として活用されていました。

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 一覧ページの画像でもご紹介した旧立場川橋梁は、1904年(明治37年)に開通した鉄橋で、1980年(昭和55年)に廃止されました。赤く錆びたトラス橋は、見るからに"遺産"という風格があります。
 橋梁は危険なので立入禁止ですが、盛土を上がり近くで見学することができます。ここに立つと、映画「スタンドバイミー」の橋梁シーンが思い起こされ、向こうから汽車が走ってくるような気がします。この日は少年たちではなく、驚いた猿たちが走って行きました。

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 旧立場川橋梁の東側にある姥沢隧道です。橋梁との間には、枕木もしっかり残っていました。
 町民広場総合運動場を挟んで乙事隧道があります。乙事隧道の東側坑口は、農業集落排水事業乙事地区処理場(タキヤクリーンセンター)の下に埋まっていました。

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 乙事地区処理場の先にはカーブして徐々に高さを下げていく盛土があり、軌道敷が現在の中央本線へ接続していた様子が伺えます。合流点付近の小さな水路には、ガーター橋(桁橋)とその脇に架線柱が残っていました。

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 廃線跡は、もう1ヶ所あります。
 信濃境駅の東、池生神社裏手には、軌道敷跡や池生隧道(47番隧道)が残っています。

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 写真の新隧道の左側が軌道敷跡です。あずさの左下には、架線柱の基礎(?)のような石積みの土台が見られます。

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 その近くには、釜無川の支流鹿ノ沢川が暗渠で線路を横断しています。こちらの見事な石積みのトンネルも、明治時代の構造物かもしれませんね。

 中央本線の鉄道遺産の旅はいかがでしたでしょうか。明治時代の石積みやレンガ積みの精巧な技術には驚くべきものがあります。こういった廃軌道や隧道もハイキングコースとして整備され、ずっと残されるといいですね。
 なお、現地は草木の少ない晩秋から早春が歩きやすいです。長靴があるといいかも知れません。猿にはご注意を。

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