蓼科の今

諏訪ゆかりの人々 平林たい子

2016.05.24

こんにちは。本日のブログ担当の岩下です。今朝8時30分の気温は17℃、天候は晴れとなっています。朝からハルゼミが元気に鳴いています。

さて今回は諏訪出身の作家で婦人運動家の、平林たい子氏(以下敬称略)をご紹介しましょう。

平林たい子(1905-1972)は、諏訪郡中州村(現諏訪市中洲福島)に生まれ、子どもの頃ロシア文学を読んだことがきっかけで作家を志したと言われています。首席で入学した諏訪高等女学校時代、社会主義に関心を持ち始め、卒業後上京してからは波瀾万丈の生涯を送りました。


1.160501平林.JPG        「出生地中州福島区のためになることを」と願っていた平林たい子の遺志を受け、1973年(昭和48年)地元に記念館が開館しました。


2.160501平林.JPG        館内は生前使っていた部屋の建具などが移築され再現されると共に、多くの資料が展示されています。

 
 諏訪市ホームページはこちら


3.160501平林.JPG        諏訪市図書館2階郷土資料コーナーには、遺族から贈られた蔵書約4,000冊が納められた平林記念文庫があります。

 

4.160501平林.JPG         

 

4-2.160501平林.JPG        霧ヶ峰高原のグライダー滑走路の脇にある霧鐘塔に、平林たい子の詩が刻まれています。
「鐘がものをいふ 霧だ霧だと 鐘がものをいふ 生きろ生きろと」

 

        5b.160501平林.JPG                    1972年(昭和47年)に66歳で亡くなり、諏訪市中洲福島共同墓地へ埋葬されました。


蓼科へお越しの際は、諏訪の文学散歩はいかがでしょうか。


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